ああ忙しい忙しい金がない金がない
4月。子供がようやく学校に行ってくれるようになり、明日からようやく給食の日々。
子ども会の総会資料も作り終えたし、仕事の方も引き継ぎ終わってゆっくりできるし、子供の昼ご飯とか作らなくて済むし、少し更新をご無沙汰してしまいましたが、ようやく自分もゆっくりブログできそうです。
さて、タイトルの「ああ忙しい忙しい金がない金がない」
時間と金の使い方って似ていて、こういうことを声高に言う奴って時間や金の使い方が下手というお話。
ええ、それは私のことです。
さすがに40すぎて口に出さなくはなりましたが、一週間くらい心の中で唱えていましたとも。
時間の使い方やお金の使い方が下手過ぎて、すぐキャパオーバーしてしまうんです……。
あ、もちろん時間ない金ないとか言う人の中には、もちろん本当に時間のない人、お金のない人もいます。
ブラック企業でプライベートの時間がない割には給料安いとか、仕事忙しいのに家に帰ったら子供の世話する人とか、元々計画性のある人だけれども乳幼児絶賛子育て中で計画通りに物事が進まないとか、介護で大変で働けないとか。
キャパオーバーまでにどれくらいの容量があるかの差で、誰だって「時間がない」とか「お金がない」とか思う時期って多かれ少なかれあるとは思うのですが、時間やお金に対して計画性のある人は比較的このキャパオーバーがやってくる量が少ないですよね。
私の場合は、金がないと言いつつ缶コーヒーを買うタイプ。
時間も同じように時間がないと言いつつ携帯ゲームとかやってしまうタイプなんです。
ホントに忙しいのではなく、単純に「計画性がない」だけ……。
お金の使い方と時間の使い方って、共通点が多くないですか?
双方自分の性格が色濃く出るからでしょうか。それとも双方限りあるものだからでしょうか。
ガッツリ趣味にお金をかける人は、オンオフがはっきりしていて、時間の使い方もガッツリ働いてガッツリ休む人。
ネット見てたらついつい2時間たってた~ってタイプは、お財布の中身も「あー、つついつい使いすぎちゃった」なんて思う、みたいな。
もちろん私は後者です。
時間がないと言いつつ携帯ゲームする時間は作っているし、子供とポケモンピクロス(3DS)に夢中になっていたりするし、子供が寝たら自分の時間つくるぞーとか思ったら寝落ちして気づいたら朝とか、しかも二度寝したりとかw
金ないならその時間クラウドソーシングとかで少しでも稼げばいいし、稼ぎはしなくてもブログやりゃいいじゃんって我ながらツッコミ入れるんですが、嫌なことからはすぐ逃げたくなる→金がない、時間がないの繰り返しなわけです。
時間でもお金でも、「無駄なもの」「そうでないもの」にきっちりと分けられるようになりたい今日この頃。
ええええ、もちろんそういうふうに思っていても、結局ダラダラと時間を使うのが私という人間なんですけれどもねw
こんな私を反面教師にしてください……!!
面倒くさがりの節約の仕方
面倒くさがり。もちろん私のことです。
基本面倒くさがりはお金を貯める力がありません。
家計簿をつけようとしても忘れちゃうし、アプリの家計簿ならいけるかなーなんて思っても格安スマホだから容量不足だし、かといってストレージ整理したりスマホ買い替えたりしないし、財布にレシートは溜まるし、整理されてないからレシート捨てたら割引券も捨てちゃうし。
とにかく節約のために「動かない」。
そりゃお金が貯まりませんよねー。
以上!!
で終わらせたいところですが、そういうわけにもいかないので。
今回は「面倒くさがりの節約の仕方」を話しますが、かなり低レベルな話なので、しっかり節約ができている方は読まないほうが時間の無駄にならずに済むかと思いますw
基本は「向いていない」ことを前提に考える
まず、面倒くさがりは「しっかり家計簿つけて、上手く節約して、ガッツリ貯金する♪」というのは遥か彼方の夢物語だということを自覚することから始まりますw
基本、人間は楽な方に流れます。
やりたくないことやできないことはなかなかやらないもの。
これ、ダイエットでも言えるのですが、最初からー20kgとかハードル高くしちゃうと、減りが少なくなったところで息切れしてやる気もなくなっちゃうわけです。
その逆で、やりたいことだったら人間喜んでやります。
例えば好きな俳優さんが「貯金を〇万円貯めるごとにあなたと一日デートする」と言ったら、いくら面倒くさがりでもめっちゃ頑張って貯金する人多いと思うんですよねw
ぶっちゃけ、「面倒」って言って節約しないっていうのは切羽詰まっていないということなんです。お金がなければ節約せざるを得ないし、やりたいことだったらやるはずです。
切羽詰っていない人間を無理に動かそうというのがまず無理なこと。
とにかく最初のハードルを下げてクリアすること、自分ができる分をちょっとずつ継続することが大切です。
固定費を安くする
面倒くさがりは、日常で無駄遣いを良くします。
- 2km先のスーパーまで自転車で行くの面倒だから、車で行っちゃおう
- ああ、あれもこれも安い!あれ?予算オーバー??ま、いいか
- 車で来たから、通常の価格だけど米も買っておこう
- 歩き回って疲れたからコーヒー100円だし一杯飲んでいこう
・・・・・???
安売りの意味ないじゃん。ガソリン代の分近所のスーパーでもいいじゃんwwww
ってなるわけです。
もちろんここで意識して「たまには自転車で行こう」という気持ちになれればOKなんですが、大抵は「めんどくせぇ」が勝ってしまう。
そう、大抵「めんどくせぇ」が勝つんです。
だから、できる限り1回動いた後は自動的に月々の支払いが安くなる固定費を削るのが面倒くさがりには一番。
- 家賃やローン→見直すのが面倒だけど、1回見直すとあとは自動的に少なくなるから楽。
- 携帯代→2年縛りでネットや光熱費とセットの安いプランに加入すると、最初は不便でもすぐ慣れる。
- 保険→稼ぎの主軸の人間の保険は厚く掛けておいてもよいけど、それ以外は掛け捨ての団体保険でOK。県民共済とか使わなければ掛け金が少し戻ってくるし。
- 光熱費→トイレのタンクにペットボトル入れるとか、節水シャワー使うとか、一度取り付けたら放置でOKのものを購入
上記の節約、いろいろ穴があります。
例えば携帯代をネット回線とセット料金にしていて2年縛りにしていたから、引越し等でネット回線の整った物件に移動するときに解約の違約金が発生したとかいうあるあるネタとかね。
光熱費も、節水シャワー買ってみたら自分のところのシャワーと口が合わなかったりw
「契約・購入前によく調べない」。これが面倒くさがりがお金がたまらない所以なんです。調べるのめんどくせぇワケですw
けれども気合が入っているときだけは頑張るのも面倒くさがりの特徴。
ダイエットでも最初の2~3日は順調に体重が減ってがんばれたりしますよね。
「これだけ安くなる」っていうのがわかっているときは、ダイエットで順調に1kgずつ減っている時と一緒でやる気が出る時です。
ローンの借り換えとかも、保険とかも、「頑張ろう!」って思っている間に色々と調べたり窓口の店員さんに確認して、契約することがポイントです。
「めんどくさい」と思いながらやるときはリサーチが雑で失敗するので、面倒くさい部分はお金に詳しい人に教えてもらったり、後回しにして気合が入っている時にやりましょうw
家計簿をつけないなら、その分毎月使える額をざっくり決める
もちろん家計簿をつけることは大賛成です。
ざっくり家計簿でも実情を知ることができるので。
が。もしつけるの面倒ーってレシート溜め込んで、そのレシートをみてうんざりして余計にやりたくなくなってしまうタイプの場合、「家計簿」というやり方はあなたに合っていないということ。
私の場合、家計簿をつけない代わりに、毎月「食費もろもろで使って良い金額は○万円」「予備が○円」くらいにざっくりと使う額を決めて財布に入れています。
目に見えてお金が減っていくと、毎日家計簿をつけない面倒くさがりでも、「あ、今月はやばい」とかわかるんですよね。
下にクレジットカードの使い方を書きますが、他にお得な方法があっても基本買い物は現金払い・子供の習い事代や保険などの毎月の支払はクレジットカードにしています。
カードは1枚!ポイントはため込まない。
お金をしっかり貯められる人は、カードを使い分けてお得にポイントを貯めています。
でも、面倒くさがりはこまめにポイント残高を調べたりポイントを使ったりしないので、多数持っているとポイント失効したり、支払額を計算し忘れて使ってしまいがちです。
なので、利用するクレジットカードは一枚です。
おすすめは「日常品を買うスーパー等のカード」です。
ネットで買い物派なら、楽天かTポイントが貯まるようなカードもありかと思いますが、ネットの買い物のカードを作ってしまうと、セールの時などについ金銭感覚がマヒしてクレジットカードでポチポチと買い物をしてしまうこともあるので、私は戒めのために楽天などのカードは作らずに「セブンカード」にしています。
でも買い物は基本nanacoで現金チャージ。
本来nanacoポイントはクレジットカードからnanacoにチャージすると、チャージの時と支払い時、Wでポイントが入ります。
また、クレジットカードを使って買い物をする方が現金チャージよりポイントが付きます。
が、クレジットカードを持つときに気をつけなければならないのが「使いすぎ」。
面倒くさがりは上に書いたとおり「現金払い」が無駄遣いしないポイントなんです。
カードで買い物をするときは一括払いですが、もしキャパを超えてしまってカードの支払いができなくなってリボ払いに変更して高い手数料払ったら、ポイントの意味がなくなっちゃいますしね。
私の場合は財布の現金が減った方が確実にあといくら使えるかがわかるので現金チャージでやっていますが、それは、私が目に見えてお金が減らないとついつい使いすぎてしまうタイプだから。
ある程度金銭的余裕のある方、またはクレジットカードの利用分を毎回チェックしている方ならWポイントの方が断然お得だということは言っておきます。
ポイントは有効期限切れにならないうちに、思い立ったら使ってしまいましょうね。
一番いいのはパートナーに丸投げw
あくまでもパートナーの方が金銭感覚がしっかりしている場合ですが、会社も家庭も適材適所。もしパートナーがお金の事に関してのやりくりが上手なら、パートナーに丸投げするのが一番です。
月に使える額だけもらって、後はパートナーに管理を丸投げして貯蓄分は使えないようにします。
ちなみに私は基本自分が使える額(自分の給料)だけ管理し、他は旦那に丸投げですw
自分の給料は住宅ローンと食費・交際費等の生活費で使い、貯蓄や大きな出費に関する管理は旦那の方の口座でしてもらっています。
旦那よ、ありがとう。
4/2はトゥルーエイプリル
タイトルは13年に流行った「エイプリルフールの嘘」なのですが、タイトルを見てピンと来た人はどれくらいいるのでしょうか。
4/2は真実しか言ってはいけない日。
騙されてしまった当時の私、エイプリルフールの嘘だとわかった後でも良い嘘だなーと感じました。
「嘘から出た真」で、実際に定着しないかなーとも。
どれくらい認知度があるかはわかりませんが、twitterを当時やっていなかった私でもこの嘘情報は知っていたので、「こういうのいいなー」って思って拡散した人は結構いると思うんですよね。
まぁね、私はもう愛の告白とかする年代じゃないから、告白的な意味合いでは実際に流行っても自分自身には関係ないけど、夫や妻への日頃の感謝とか親へのお礼とかも伝える人とか出てくるだろうし、なんだか世の中が幸せになる日な感じしません?w
特に日本人は普段寡黙でこういったイベントのときじゃないと気持ちを告白しないタイプ多いですし、日本にあっていると思うんですよねー。
アクセサリー店とか宝石店とかでバレンタインのように「うちらに都合の良いネタだから流行らせよう」という商業的な力が入ってくれないかなw
エイプリルフールの由来
エイプリルフールの由来はわかっておらず、諸説あるようですが、wikiさんによると有力な説とされている仮説は1564年フランス発祥なんだそうです。
その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた[4](これ以降は嘘の起源と思われる)。
しかし、シャルル9世はこの事態に対して非常に憤慨し、町で「嘘の新年」を祝っていた人々を逮捕し、片っ端から処刑してしまう。処刑された人々の中には、まだ13歳だった少女までもが含まれていた。フランスの人々は、この事件に非常にショックを受け、フランス王への抗議と、この事件を忘れないために、その後も毎年4月1日になると盛大に「嘘の新年」を祝うようになっていった。これがエイプリルフールの始まりである。
そして13歳という若さで処刑された少女への哀悼の意を表して、1564年から13年ごとに「嘘の嘘の新年」を祝い、その日を一日中全く嘘をついてはいけない日とするという風習も生まれた。その後、エイプリルフールは世界中に広まり、ポピュラーとなったが、「嘘の嘘の新年」は次第に人々の記憶から消えていった。
おお!エイプリルフールの由来の中に、トゥルーエイプリルらしきものが入っているではありませんか!
あくまでも仮説なので、本当に「嘘の嘘の新年(トゥルーエイプリル)」があったかどうかはわかりませんが、この説から2013年のトゥルーエイプリルの話題が出てきたのかもしれないですよね。
こういうイベントものは上に書いたように商業的に流行らせる意図があったものの他に、震災とか暴動とか痛ましい災害や事故や事件に対して「忘れないように」とできるものがありますが、年月が経つとなぜ出来たかは忘れられて面白いイベントだけ残るものなのでしょうね。
ただ、その「残ったイベント」から起源を探る人がまた現れるので、イベントだけが残ることも決して悪いことではないと思っています。
人間は生きるために痛みを忘れるようにできていますしね。
エイプリルフールの嘘は叶わない?
ちなみに「エイプリルフールでついた嘘は実際に叶わない」という話もあるようです。
まぁこの説は「明らかに後でネタばらしして嘘だとわかるように、自分に起き得そうもない嘘をつく人が多い」から≒になるのかもしれませんよね。
例えば「宝くじで5万当たった!」とかの嘘なら現実にありそうだし騙しやすいけれども、嘘をつかれた側のリアクションも「ああ!おめでとう!」で終わっちゃう。
そういう嘘よりも「実はジャンボ宝くじで1等〇億円当たった!」という嘘をつく人の方が明らかに多そうですよねw
彼氏彼女ができたネタも、イケメンや美女が言っても面白くない。「え~!?」って驚かれるからこそ皆こういう嘘をつくわけでw
だから私も高校時代はよくそんな嘘を……いや、これ以上は悲しくなるから自重しよう……。
今は騙されるのを楽しむタイプですので嘘を自らつきませんが(というか人を楽しませる嘘のセンスがないのを知ってからは嘘をつく側には回らなくなった)、エイプリルフールの嘘もトゥルーエイプリルも、人が楽しくなったり嬉しくなったりするような日になるといいですよね。
ドラえもんとコードギアス
この間の日曜まで、BS11で「コードギアス 反逆のルルーシュ」というアニメをやっておりました(続編のR2も)。
かなり有名なアニメらしいのですが私は世代ではないので今回見たのがはじめて。
私の友人がこのアニメが好きなんだけれどもBS映らないから録画してーって言うんで、私も見たんですよね。
中学生の姪っ子がこのアニメに出ている声優さんが好きで話は聞いていたんで、タイトルとなんとなくの内容は知っていたんですが、若い世代に人気になるのがわかるなーというよく作りこまれた内容のアニメでした。
で、なぜドラえもんもタイトルに入っているの?というのは。
このコードギアス2部作の最終回を見た日と、子供と映画の「ドラえもん のび太の宝島」を見に行った日が同じ日だったからです。
ここからは双方の内容がネタバレされているので、もし見たくない人はここから先は見ないでください。
……といったものの、ドラえもんはネタバレして欲しくない人は少ないでしょうし、コードギアスは10年前のアニメだからすでに見たいと思っている人は見ていて内容知っている人わけだから、本当に↑のセリフが適切かどうかはわからないですがw
人間はどういう選択をするか、という話。
今回のドラえもんの映画を三行(←PC表示。スマホはわからん)で説明すると
科学者の奥さんを亡くした夫が、地球が滅びる未来を見て子供たちを助けるために自分が悪党(海賊)になって一部の人間だけを救おうとするが、自分の子供やのび太たちに諭されて「やっぱりほかの人を犠牲にするのはやめようね」って改心するお話。
コードギアスを三行(←同じくPC)で説明すると
妹のために戦争ばかりの世界を良くしようと立ち上がった青年が、違う方法で世界を変えようと思う親友や国と対立し、いろいろなものを犠牲にして、結局最後は自分が負を全部背負って死ぬことで恨みの連鎖を断ち切って世界から争いをなくす話。
(本来コードギアスは結論に至るまでの出来事や感情をすっとばしてはいけないアニメなんですが、今回の記事とは関係ない部分なので三行で。ギアスファンの方すみません……。)
内容は全然違う話なんですが、双方「例え同じ想いでも人は方法について対立し、そしてすれ違う」っていう部分を物語のキモにしているのが似ているなーと思ったんです。
方法ありきか、結果ありきか。
ドラえもんの方は、親子のすれ違いは解消され仲直りをしましたが、結局どういう形で世界滅亡の未来を食い止めるのかは描かれていません。「人を犠牲にすることなくできる方法で最善を目指す」という方法でまとまったけれども、その結果は描かれていないんですよね。のび太の「彼らならきっとできるよ!」的なセリフで終わっています。
まぁいいよなのび太はその頃にはとうに死んでいる年だしw
ギアスの方は主人公も親友も最後は2人で結託し、人の恨みを全部背負った主人公がみんなの前で正義の味方(親友)に殺されることで負の連鎖を断ち切り、主役は死ぬことで、親友は正義の味方として生き続けることで、たくさんの人を犠牲にしてきた咎を受ける道を選びます。武力などの力で抑圧した上での平和を作ることもできたのですが、彼らはその方法を否定し、何度失敗しても人々が明日を掴めるような世界を望みます。
(この辺の解釈は続編があるらしいので変わるかも)
エピローグでは、戦争ばかりだった世界が少し良くなっていく様子が、深く関わった人間のモノローグを通じて描かれました。
もっと細かいニュアンスを説明したいのですが、行数が100行くらいかかってしまうので省略しますw
前者の方は
「方法が正しいと思えるものを選び、その上で一番良い結果に行くよう動く」
後者は
「自分たちが求める結果にたどり着く為に、自分たちができる方法を選び抜く」
と、描かれ方が違っています。
子供向けアニメか大人向けアニメかっていう部分、そして前者が「親子の絆」、後者が「世界の無常さと人間の愚かしさ(そして少しの希望)」が描かれているので、結論が違うのは当然かとは思います。
ドラえもんは理想論。ギアスはさらに上を行く理想論。
これらは理想論なんでしょうね。
でも「へっ、所詮は理想論じゃねーか」と言いたいわけじゃなく、やっぱり希望やら愛やらないと人間生きていけないんですよねー、たぶん。
その結末がたとえ同じことの繰り返しだとしても、全滅だとしても、抑圧された平和や一部の人だけ助かる未来より、なんとかあがく人生を選びたいと思う人が多いということですよね。
これらは物語だから壮大な世界が描かれていますが、日常でもあると思うんですよね。
小さな志、結果の相違、誰かを傷つけたりしないと生きられないこと、いろんな人とすれ違ったりすること。
現実でも物語でも全ての人が幸せになる道なんてないけれども、少しでも自分が生きるためにに足掻きたいと思うのが人間とか人生とかいうものなのかもしれないですね。