めざし女の処方箋

基本ダメダメ女のための緩いブログです。

今は不寛容な世の中なのか

よく世の中不寛容になった、と言われます。

いや、私みたいなゆるい人間には辛いっすw

私は良く言えばポシティブ、悪く言えば鈍感な人間なので、子育てで絶対に迷惑かけるようなことしてるし。

 

実際に不寛容な人間が増えたかというと、ただ単に昔でいうガンコ爺さんみたいなタイプがネットであーだこーだと断罪しているだけかもしれませんし、ネットというスピーカーがあるから煩く聞こえるだけで、人数は変わっていないのかもしれません。 

受取る側も「迷惑をかけたくない」と敏感になってしまっている部分があるから、周りが不寛容に見えるのかもしれないですしね。

 

でも、感覚として「不寛容な社会」というものはそこに存在しているんじゃないかと感じています。

 

昔と比べて何が変わった?

自分が子供時代を思うと、確かに社会のルールは緩かったとは思います。

子供の私はどこの誰が所有者だかわからない空き地でしょっちゅう遊んでたし、電車のホームから線路に煙草をポイ捨てする大人もたくさんいたし、子供を外に放り出しても躾の一環でした。

 

 

しかし、そういう人が多かった、そういう人が目立つ世の中じゃなかっただけです。

喫煙率とか子供の人数とか、今と比率違いますしね。

寛容だったのはマジョリティにだけ。

昔は男と女の生き方のテンプレートみたいなものがあって、マイノリティには寛容ではない社会でしたよね。

結婚してなければ「結婚しろ!」

一人っ子のお母さんは「複数産め!」

女の子だけだったら「男も産め!」

……みたいなヤツ。

LGBTなんて言葉もなかったし、ランドセルは男と女で色が決まってたし、フルタイムで仕事をしても家事育児は全部女性だとか、仕事しない男性はどんなに家事をやってもごくつぶしといわれたりとか、肌の色が違うと「うぉ!外人!」みたいな部分も多々ありました。

 

そういった部分では「みんなちがってみんないい」的な寛容さは生まれてきたのではないかと思うんですよね。もちろん昔と比べてであって、まだまだ寛容ではない部分もたくさんありますけれどもね。

 

 

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不寛容な社会を生みだしたのはネット?

SNSでは芸能人のコメントが炎上したり、若い子が書いたコメントに大人が叩きまくるなんてシチュエーションを良く目にします。

ネットが出来て、声が大きくなったから不寛容に見えるのでしょうか?

ネットがあるから感覚的に「不寛容な社会」になったように見えるのでしょうか。

 

確かにネットが無いころは生活圏が違えばあまり異世代で触れる機会もなく住み分け出来ていたし、会社で「近頃の若いもんは」と愚痴る程度で済んでいた部分はありました。

「男はこう、女はこう」みたいなテンプレートがあったから、大多数の大人(マジョリティ)は生きやすかったでしょうしね。

それらは本当の意味で「寛容」ではないけれども、寛容な社会っぽく見えたのだと思います。

昔っから感情で怒鳴るようなクソ親父は存在していましたし、飲酒運転だっていましたしね……。

 

ネットと言うものが出来て、ネット人口が増え低年齢化し、「これが正解」っていうテンプレートもなくなって、さまざまな人種がネットで生活をすることによって、ネット内では「目の敵」が自分の前に現れることが増えてきてしまったような気がするんです。

若い子 VS 中年専業 VS 兼業独身 VS 既婚みたいな。

自分が「攻撃の対象」になる比率が高くなった、今までマジョリティ側の人間だったのが当事者になることが増えたから、「不寛容な世の中」と感じることが増えたのではないでしょうか。

 

結局今の世の中は不寛容なの?

ゆるい私的には当然寛容な世の中の方が生きやすいんで、不寛容な意見を見ると「まぁまぁこんなところで正義を振りかざさんでも、人は人、自分は自分でゆるくいこうよ」って思うわけです。

ストレス発散や自分が正義だと言いたいがために、罵声を浴びさせられた方はホントにたまったもんじゃないわけで。

 

でもこれって【不寛容な人間に対して寛容じゃない】ですよね。

自分が寛容な世の中になって欲しいからと言って、我慢できない部類の人やいろいろ叫びたい・訴えたい人に我慢をさせて寛容な社会をつくるってのも、不寛容な世の中の一種なのかなって気もするんです。

 

そうなると「寛容な世の中」「不寛容な世の中」って何なんだ?って思い始めてきました。

 

 

結局明らかに寛容すぎなものと、極端に不寛容なのを排除して、その時代の「ルール」が出来て行くのでしょうね

ルールって、色んな人間が社会で生きていくためにある程度間を取って「ここで妥協点を決めよう」ってなるわけですよね。

声が大きい人、力のある人、賛同者が多い人(数の力)がその時代のルールを作っているだけで、ルールに従って生きるのはいつの時代も変わらない気がするんです。ただ、どこが寛容になって、どこが不寛容になるのかって話なだけの気がします。

 

今は「不寛容な世の中が息苦しい」って感じる人が多くなってきたし、ネット上にもなんとなくルールが出来てきたので、寛容と不寛容のパワーバランスはまた変わっていくのでしょうね。