大根の面取り(実母の話)
年末にかけてちょっと仕事が忙しいです。
ブログの更新が滞っていて、年末乗り越えられるかちょい不安です。
他の方のブログもなかなか見れない状態ですが、なんとか時間作ります。
最近ちょっと疲れ気味です。
この歳になると「無理をしない」ことを意識的にできるようになって、ある程度物理的にストレス回避しています。
とにかく睡眠をとるとか、ご飯や子供の面倒は旦那にお願いするとかw
もうね、末っ子の気質か、人に頼るのに罪悪感持ちませんからねー……。
けれども、ゆっくりお茶を飲んだりブログを書いたり、子供と真正面から向き合ったり出来ないと、やっぱり少しだけ心がすさむんですよね。
「あああああーーーーーやりたいことができない!!」
私はキャパが狭い上に時間の使い方が下手なので、それが自分のせいだってことは重々わかっているんですよ。
でもマグロになる努力をしようとして、ぶっちゃけ結構苦しんだ時期もあるので、結局自分のめざしの範囲でなんとかするっきゃないわけで。
風呂とかで、大人げなく「もう仕事やだ!」とか口に出しています。
そんなとき、ふと実母を思い出しました。
実母は子供の前で泣いたりする人ではありませんでした。
専業主婦でしたが、3人子供がいることもあってPTAとか町会とかの役員をなにかしら毎年やっていましたし、朝は必ず一番に起きて朝食を作っていましたし、いつもあわただしく動いていたけど、2時間くらい井戸端会議の時間とかも取れていたりして、まさに「肝っ玉母ちゃん」的な母でした。
でも、忙しく動き回っている割に、いつも私が家に帰ってくると、母の味……普通の家庭料理が並んでいるんです。
大根の煮物は必ず面取りをしてあって、圧力鍋とかない時代なのにしっかり煮込んであったりして。
同居している舅は「俺のいうことをお前らは聞いていればいいんだ!」的なタイプで、姑は「うちの子供はあの時代に全員大学に行かせましたのよ」とか近所の人に平気で言ってしまうような人でした。
父は一度も家から出たことのない人間で、自分の下着の場所はおろかカップラーメンさえ自分で作れなかった人。
そして娘は「今から帰るね」「今日ご飯いらない」とか一言伝えればいいのに、いつもギリギリになって伝えるようなバカ娘(もちろん私のこと)。
ストレスは相当あったんだと思います。
けれども大人になってから母に聞くと、あっけらかんと
「いやそりゃ当時は腹立つこともたくさんあったけど、外に出たいから先に夕飯作っておくとか苦なくできたのよね。なんだかんだ言ってお母さんは動いている方が好きだから♪」
と楽しそうに言っていました。
母になったら誰もがそのキャパシティを持てると思っていた若かりしあの頃。
なんで母から生まれたのに母みたいな気質を持たなかったんだろうw
遺伝の不思議。
ちなみに、「実母を思い出しました」なんて書いたけど、「そんな実母はもう……」って話ではなく、普通に一駅先の実家に健在です。
今でも民生委員とかのボランティアで動き回っています。
尊敬できる、大好きな母です。