人生の選択肢
たまに、自分の子供の進路を考えます。
今のところは電車関係と言っていますが、これからもいろいろと選択肢が広がれば違う進路を選ぶこともあるでしょう。
私自身は基本的には子どもの生きる力と選択する力さえあればなんとかなると思っていますが、もちろん「学歴はつけておいた方が選択肢が広がる」とも思っています。
けれども、単純に学歴とはいえ、私の時代の「高校くらいはとりあえず出ておきなさい」って親が言っていたハードルがどんどん上がっている、みたいな感じがしませんか?
大学を出るのが普通?
良い大学に入った人が良い給料で良い条件の会社に入社できる。
「努力した人」が上に行くのは資本主義の原点だと思うので、そこは全く問題はないと思うんです。
でも、学歴以外の努力って、どうなんでしょう。
残念ながら「高卒以上」の募集は数多く、最低限高校は出ていないと就職先の選択肢はほぼないですよね。
ホワイトカラーではないと「普通の生活」が出来ない状況であれば、みなホワイトカラーを望みますし、子供にもたくさんの選択肢が持てるように、大学に入っておきなさいと言う親が多いでしょう。
この国はずいぶん「普通」の範囲が狭くなってしまったなと思います。
大学に行かなきゃ普通の仕事に就職できない、普通の生活ができない、となってしまったら、何のための高等教育だって思うんですよね。
私は「大学に行く」以外にも子供の幅を広げるような選択肢があっても良いと思うんです。
ちょっと大げさな例ですが、中卒でもちゃんと就職出来て贅沢は言わない程度に稼げるのであれば、別の努力が報われるのであれば、奨学金を貰ってまで高校や大学にいかせなくても済みますよね。
というか、むしろ義務教育が「中学」までなのであれば中卒で働きに出ても仕事が見つけられるくらいにはしてほしいし、そうでなければ「高校(もしくはそれに準じた専門学校等)」までを義務教育にしてほしいです。
町工場の技術
なんでこんなことを突然言い出したのかと言うと。
私は町工場の人と関わるような仕事をしています。60代~70代の方で、本当に仕事に誇りを持っていて安くて優秀なものを作る町工場の技術者をたくさん知っていますが、そのほとんどが跡を継ぐ者がいなくて閉鎖しています。
あと10年後くらいには下支えしていた人たちがほとんどいなくなって、「技術大国日本」「安心・安全の製品」なんてなくなってしまうのではないかと思っています。
そういった方々みたいに、勉強ではなく実践で学んできた「技」が活かせるような世の中にはもうならないんですかね……。
例えば日本を下で支える技術を伝える方に対して「マイスター制度」をつくり、マイスターの下で学ぶ若者にはレベルに応じた補助金等何かしらの恩恵が受けられるようにするとか、大企業に就職する以外でもお金に困らない方法がなにかしらあると良いのにと思うんです。
もちろん官だけでなく、民でもいろいろと動きがあると嬉しいですよね。
けれども現実は。
もしそこの工場が合わずに転職を考えた場合、中卒どころか高卒でも選択肢が狭まってしまうと考えると大学卒業したほうが身の安全。
親としては子供に苦労させたくないと言う一心で「学歴」をつけさせたくなってしまいます。
なんか、みーんな繋がっていて手詰まり感があるんですよね。
「労働人口が足りない」
「条件の悪い仕事は嫌だ」
「じゃあ単純作業は外国人労働者に」
「移民は治安が悪くなるし嫌だ」
「安心した企業じゃないとだめだ」
ゆるーい私は「何でもいいよ」って言ってくれる社会があるといいのになと思っています。