めざし女の処方箋

基本ダメダメ女のための緩いブログです。

母が祖母の介護をしていた時の話

私がよく読んでいる介護士こーにゃーさんのブログ。

b.hatena.ne.jp

いつもこーにゃーさんのブログには優しさが溢れているなと思います。

そして、老いと死に直面する仕事をしているこーにゃーさんのブログを読んで、私も色々と老いや死について改めて考えるところがありました。

 

私は40代。人生も折り返し地点を過ぎて、子供もできて、若い頃に比べて少しだけ死に対する向き合い方が変わってきました。

 

「できる限り子供には迷惑かけたくない」

「両親は看取ったし、あとは子どもより先に逝くという順番を守りたい」

「ピンピンころりで逝きたいわ」

 

私より老いた母や義父母の話を聞くと、死に対していろいろな願いがあるようです。

でも人間、死に方を選べる人はほとんどいなくて、突然事故や病気で亡くなることもあれば、災害などで自分より若い人が亡くなるのを見なければならなかったり、体や心は不健康なのに長生きして苦しい思いをしたりとうまくいきません。

 

母が祖母の介護をしていた話

私の祖母は、私が中学の頃に認知症(当時は痴呆症と言っていた)になりました。

徘徊し、同居していた私の母に対して悪態をつき、目も虚ろになって。

中学生の私は自分のことに一生懸命で、母を助けようという優しい気持ちはありませんでした。祖母が怖くて近寄りたくないとすら思っていました。

 

祖母は何年か母が自宅で介護をしたのち、体を悪くして入院しました。

その時最初は別居中の伯母達も週に1回当番を決めて手伝うと言っていたのですが、みな東京近郊に住んでいるのに仕事などを理由にこなくなり、お世話は1ヶ月も続きませんでした。

祖母の実の子である父や伯父たちは全くと言っていいほどノータッチ。祖父は亭主関白でしたが、祖母の病院へよく足繁く通い、世話をしていました。しかし、元気だった祖父は脳溢血で倒れ、意識が戻らないまま祖母より先に死去しました。

娘である私もほとんど手伝わず、結局専業主婦の母のみが最期まで全部面倒を見ました。

祖母は10年も入退院を繰り返し、最期は病院で息を引き取りました。

 

いとこ達は祖母の死に涙を流していました。

伯母たちも泣いていました。

でも、母は葬式では泣いていませんでした。

 

 

母は祖母が病院で死んだとき、私に電話をくれました。

普段あまり泣かない母が涙声で、祖母の危篤の一報を受けて実家に待機していた私に

「おばあちゃんね、死んじゃったの」と。

 

いとこ達は自分たちが遊びに来ていた時の元気な祖母しか知らなかったから、純粋に悲しかったのでしょう。伯母たちも、元気な頃の祖母を思い出して涙していたのかもしれません。

自分の生活でいっぱいいっぱいで、世話をしなかった伯母たちの気持ちはわかります。私自身が母が大変なことを知りながらも、仕事を理由に祖母の世話を大してしなかったので。

 

母は泣いて悲しむ親族を見て、何を想っているのか。

そう思うと、自分が泣く資格などない気がして泣けませんでした。

 

母は祖母の介護をしているときも、子供の前ではたくさん笑っていました。

が、長男の嫁でもないのに祖父母と同居し、それなりに嫁姑問題も経験し、介護もし、大変な思いをしてきました。

 

 

私が高校生くらいだった頃でしょうか。

まだズームイン朝の司会が徳光さんだった頃の話です。

 

朝ニュースを見ていたら、豪華客船の話がニュースになっていました。

半年位かけて海の旅をする豪華客船。

申し込みが殺到したけれども、その中の一部に認知症の親の面倒を見たくないからと介護をしている子供が勝手に申し込んでいる例があって問題になったというニュースでした。

 

徳光さんは怒って「なんてひどい事をするんだ!そんなことするなんて」という感じで非難していました。

その時母はぼそっと

「そんな綺麗事、介護していないから言えるのよ」

とつぶやいていました。

 

私が祖母の葬儀で泣けなかったのは、泣いてしまったら全部綺麗事として終わってしまうような気がしたからかもしれません。

 

樋口了一さんの「手紙」

母は、祖母を介護した経験からか、子供には同じ思いをさせたくないと言います。

90歳になる主人の父方の祖母を介護した義母も、同じように自分が認知症になって世話をされたくない、迷惑をかけたくないと言います。

 

樋口了一さんの歌う「手紙」という曲をご存知でしょうか。

www.youtube.com

 

手紙 〜親愛なる子供たちへ〜

 

老い認知症になったり、さまざまな体の衰えで今まで出来たことが出来なくなること。

できれば介護をする側もされる側も、この歌のようにそれをただ自然に受け入れられるのが私の理想です。

 

けれども現実は先の見えない介護に心が疲れ果てる人もたくさんいるし、真面目な人ほど母のように自分ひとりでその責務を背負ってしまい、キャパシティを超えてしまうことがたくさんあります。

介護される側も、私の母のように子供に迷惑をかけたくない、介護されたくない、子供に老いた姿を見せたくないと思う人もたくさんいます。

 

子育てをしていてもつい子どもに怒鳴ったりして堪え性のない私なので、きっと母が認知症になったら、世話をするときにいろいろと責め立てるように言ってしまうかもしれません。

変わってしまった母に対して嘆いてしまうこともあるかもしれません。

 

母の希望は「子供に迷惑をかけたくない」ということ。

できれば母のその願いを叶えたいけれども、死に方は選べません。

未熟な人間なので私にはできないかもしれませんが、どんなことになってもあの時の母のようにできるだけ母の前では笑っていたい、母が「子供に迷惑をかけている」なんて思わないで欲しい、そう願わずにいられません。