めざし女の処方箋

基本ダメダメ女のための緩いブログです。

哀悼の意を表したい心理

ソチ五輪フィギュアスケート男子シングル銅メダリストの訃報が先日私の耳に入ってきました。

ご冥福をお祈りいたします。

www.huffingtonpost.jp

 

突然の訃報は本当にいつも言葉にならなくて、今回もいろいろなことを考えつつも上手く文章になりませんでした。

何度も書き直しては消しを繰り返しました。

でも、言葉にならないならブログに載せる意味がないし、スケーターや彼の友人と違い異国の知らない人が哀悼の意を表に出して書く理由は特にない(もちろんだしちゃいけない理由もないですけれどもね)とわかっていつつも、なぜかブログに書きたくて……。

 

ツイッターとかは瞬発力でその気持ちをつぶやけますので、スケートファンも哀悼の意はツイッターに呟く方が多いとは思うのですが、私は言葉短く何かを伝えるのが苦手で、ついツイッターは放置してブログの方にいろいろと書いてしまいます。

特に人の死に関することは多くの人を傷つける可能性があるから丁寧に書きたいのですが、そう思うなら胸の内にこの気持ちを秘めて書かなきゃいいのにと思う自分もいます。

 

心理学を学んだわけではないのでわかりませんが、それでも何か文章に書いて残したいというのは、心の中に渦巻く感情を表に吐き出したくなる心理があるのでしょうね。

特に今回は怒りのやりどころのない事件だったので……。

そして、誰かと哀しみを共有したいとか、「私も哀しい」と誰かに言って欲しいとか、私がデニス選手のことを素晴らしいスケーターだと思っていたことを誰かに読んでもらいたいとか、何かしらの共感を求めたい部分があるような気がします。

 

スケーターが次々と哀悼の意を表すのには、まずいち早くお悔やみの言葉を述べるマナー的な意味合いもあるのかもしれませんが、悲しみを同じスケーター同士やデニス・テン選手のファンだった方々と共有したいという気持ちもあるかもしれません。

 

 

人は必ず死んでしまうもので、知らないところで亡くなった人や自分に対して関わりが薄い人の死は、さほど悲しみに暮れることはありません。

当然こんな風に記事にしようなんて思わないし、普段誰かがどこかで死んでいることを意識することもありません。

だからこそ、自分が好きだった人が亡くなったというニュースは、自分の中でその人の死が意味のあるものとして残るよう、言葉として伝えたくなるのかもしれませんね。