めざし女の処方箋

基本ダメダメ女のための緩いブログです。

命について 2

もっと早く上げようと思っていたのですが、まとめているうちに8月になってしまいました。

こちらの記事の続きです。

eagle-3axel.hatenablog.com

 

自殺でも他殺でも病気でも、親しい人の死は周りが悲しみます。

当事者はどうでしょう。親しい人が悲しむのはわかるけれども無限の苦しみから救われたい、生より死を選びたいと思った時。

ASL患者さんの嘱託殺人のニュースを見て、思うところあった方は多いのではないでしょうか。

私も現代の医療ではもう助けられないというところまできたときに、患者さんが自らの終わりを選択したいと思う気持ち自体はわかります。実際に安楽死が法律化するときに賛成するかしないかは別として(自分は良くても医療従事者の精神的負担もあるでしょうし……)ですけれども。

それは尊厳というものだと思うのですが、その尊厳が死をもって守られたとき、例え本人がそれの方が良かったんだろうと頭では理解していても、周囲の感情はついていかないですよね。そこが尊厳死というものの法律での制定を難しいものにしているのでしょう。

 

延命問題

よく私の母も義母も「ピンピンコロリで逝きたいわ」なんて言います。

2人とも認知症の姑の介護をした経験があるから、人に迷惑をかける前に、人の尊厳を無くす前に逝きたいそうです。

胃ろうなどもやらないでくれっていう人は多いですね。

 

以前NHKか何かの番組で見たのですが、延命は本人が延命をしないことを希望していたとしても、家族には激しい葛藤があるようです。

実際延命治療を望まない患者さんの容体が悪化し、本人の意思確認ができない状態で家族に医師が「延命治療を行いますか?」と問うと、本人の意思ですから延命はしませんとはっきり答えられないご家族も多いそうです。

延命治療を行わなかったときも、本人の意思に反して延命治療をお願いしてしまった時も、遺された側にはそれぞれの後悔や葛藤がありました。

延命を選ばなければ「助ける方法があるのに自分が人の命を選定しても良いのか」

延命を選べば「ただ苦しみを与えただけではないのか」

医師の方々も、技術を持っていて命はつなげるのに助けないなら、自分の持っている技術はなんのためにあるのかという葛藤もあるようです。

 

自殺された方に対しても、本人にとって生を放棄することが唯一の救いだったのだ、と簡単に割り切れません。

「生きてくれ」「助けたい」。

死を選んだ本人にとってはその言葉すらただ毎日拷問を受けているような苦痛になるのかもしれない、そう思いつつもどうしても「生きていて欲しかった」と思ってしまいます。

 

命の重さの「差」

 そうやって「大切な命」があるからこそ、その大切な命を奪った人を憎む感情が生まれてしまいます。

京アニの事件で、被害者の方々の命と加害者の命の重さは比べ物にならないくらい違うと思う方も少なくないでしょう。

 

京アニに自分が投稿した作品をパクられたというのが青葉容疑者の言い分で、ニュースでたった2分半のシーンだったと聞きました。

 「たった2分半」と書きましたが、そのほんの2~3分のために、アニメーターはたくさんの時間を費やしたことでしょう。

工業でも農業でもこういったクリエイティブな世界でも、頭の中に浮かんだアイデアを世の中に出せる「形」にすること。それをできる人は数少ないです。

 

イデアは結構誰にでも簡単に出すことが出来るんですよね。残念ながら青葉容疑者の作品は、アイデアは出せたけれども全然作品として形になっていなくて一次選考で落ちたのでしょう。

でも加害者本人は、自身の作品は素晴らしいもので他人がパクるほどクオリティの高いものだと思っているでしょうから、「本来は自分が受ける賞賛だったのに」と間違った方向で暴走し、「形を生み出せる人たち」の命を奪ってしまった。

正直言うと、自分がしでかしたことの重みを理解できない人を生かし続けていても、被害者のご家族や関係者の感情だけが逆なでされるだけで、生かしている意味ってあるのかなと思ってしまいます。

 

ただ、こうした命の重みの違いが、青葉容疑者のような人間を作るんだろうなとも思ったりもします。

人は自分が生きるのに精いっぱいだし、大切な自分や家族を守るために「君子危うきに近寄らず」と、トラブルメーカーには近寄らないだろうし真摯に対応しない。青葉容疑者のような人は余計に人間と関わろうとはせず、どんどん精神を拗らせていってしまう悪循環。

大切な命があるからこそ他の人の命や気持ちをないがしろにしてしまう。

誰も攻撃性のある人間を受け入れようとはしないのは当然のことで、今の世の中に対して青葉容疑者は「エラー」でしかないのでしょうね。

マジョリティにとっては排除が一番楽なのでしょうけれども、あくまでも今の世の中だから青葉容疑者がエラーになるだけで、自分がいつ「排除される側」に回るかはわかりません。

何らかの理由で地球全体が北斗の拳みたいな荒廃した世界だと強い人間や卑怯な人間が生き残るための正解になるだろうし、青葉容疑者がエラーにならずに済んだ世の中もあったかもしれないですね。

 

結局のところ、葛藤を含めて「命」

結局のところ、本人の尊厳といえども人は「命あること」に執着をしてしまう。

自分の命も大切にできなくなるくらい生きるのが苦しくなる人もいる一方で、戦争などで自分や周りの命を助けるために他の命を簡単に奪ってしまう場合もある。

命について葛藤してしまう。

そんな答えの出せない問いがあること自体が「生」そのものなのかもしれませんね。