25年位ぶりに「ファイアーエムブレム 聖戦の系譜」を語ってみる
マスクしていると人違いの確率が上がる
今回新型コロナで皆さんマスクするようになりましたよね。
私も暑い暑い言いながらマスクをしています。
そして……私、この数か月で人違いを4回もしてしまいました。
スーパーで2回、コンビニ入口で1回、仕事帰りに1回。
どうやら私は相手がマスクをしてしまうと人相がわからなくなるようです。
子どもと同じクラスのママかと思って「こんにちは~!」と声をかけたらびっくりされて、よくよく見ると別人の方。
しかも私がヘタレなところは「すみません、間違えました!」と言えたのが4回中1回だけというところ。
他はどうしていいかわからず、そのままぺこりと会釈してそそくさと他の買い物をしているフリをしてしまったのです。
相手は「誰だっけ???」と混乱しただろうなぁ……マジゴメンナサイ。
あまりにも人違いが多かったので、この間知り合いのママさんだろうなと気づいたけど、怖くて声かけられなかった……。
でも、不思議なのはマスク姿の自分が他の誰かに間違えられた経験は1度もないこと。
皆さん見抜けているのか、間違いに慎重なのか、元々自分から声をかけないのか、私に特徴がありすぎて間違えようがないのか。
それとも私が間違えすぎですか?ごめんなさい……。
コロナ禍を「コロナまが」って読んでた
すっごく下らない話なんですが。
良く記事とかに書いてある「コロナ禍」。
私、一昨日まで「コロナまが」って読んでいました。
とはいえ、口語で使う機会は全くなかったので、脳内で読んでいただけなんですけどね。
「禍」っていう字が「禍々しい」ってイメージだったので。
月曜、しかも仕事中、なんかふと本当の読み方を知りたくなって、目の前のパソコンで思わず検索してしまいました。
正しい読み方は「コロナか」なんですね。
「災禍」とかで「か」って読みますよね。
そういえば渦中の渦とか過去の過とか、みんな「か」って読むなぁなんて考えていたら、ゲシュタルト崩壊起こしました。
禍のつくりの部分って、ゲシュタルト崩壊起こしやすい形してますよね。
例えば「クラスター」とか、新しい言葉が生まれると結構テレビで使われること多いですが、この「コロナ禍」はあんまりアナウンサーとか言いませんよね。
コロナかって言われても「コロナ禍」って連想出来ないからですかね。
「コロナか」って「〜か否か」とかの助詞の「か」に感じますもんね。
かなり久しぶりにボソッと書いてみる
1年以上放置していたブログ、ボソッと書いてみました。
前より仕事は忙しくはなったけど、文章書けないほど忙しいわけじゃないし、書きたいネタはたくさんあったんですが……。
PCが諸事情で使えず、スマホで打つ根気がなかったんです。
最近ようやくフリック入力出来るようになったんですが、やっぱり慣れない。
今てがすべって投稿ボタン押しちゃって途中で公開しちゃうし(笑)
いっぱい書きたいことはあるんですが、とりあえずリハビリ期間的なものでちょっとずつ書いていきます。
放置しすぎてたので、まずはブログをhttps化しないとw
まずはそこからかも…。
この文章も見づらかったらすみません。
新型コロナの流行で、世の中大変なことになっていますね。
私は思いっきり緊急事態宣言に入るとこに住んでいるので、子供はGW明けまで休校です。
今回担任の先生とか学校とか、色んなところに感謝する機会になりました。
できる限り未修の単元がないようにしてくれたし、土日潰して休校中の課題を作ってくれたりしました。
医療機関も学校も保育園も学童も、スーパーもドラッグストアも流通の人もライフラインを担っている方々も、皆さん現場の人が頑張ってくれているから今何とか日本は持ちこたえているんですよね。
こんなときしか気づかない私は相変わらずダメダメな人間ですが、改めてありがとうございます。
会社は今普通に出勤していますが、製造業なので少しずつ仕事は少なくなって来ています……。
うちの会社、皆徒歩かチャリか車で通勤っていうのが幸いしてか、まだ体調崩した人はいないけど、自分がいつかかってもおかしくない状態になって来ていますね。
ちょっと暗くなりそうですが、まぁこんなときだからこそ、明るくいきたいですね。
このブログも明るくのんびりやって行こうと思ってます。
40代無職、なんとか再就職できました
就職決まりました。
今週から働いております。まだ試用期間ですが。
早くも夏休みが終わった……。
40代のハローワークの経験はなかなか面白かったので、現在のハロワ事情を書きたいのですが、長くなるのでそれは後日小分けにして書きます。
正直40代が土日休みの一般事務(正社員)なんて無理だと思っていました。
実際、今仕事は売り手市場ですが、事務だけは求人倍率が0.3くらいなんです。
子育て世代が集まっちゃうんですよね、この時間帯の仕事に。
当然この倍率にはからくりがあります。
事務といってもピンキリ。
総務事務や経理事務など専門分野の知識が必要な事務もあれば、一般事務でも忙しかったり残業が多いものもあります。
倍率を上げているのは誰もがここで働きたいという条件で尚且つ専門知識がいらない一般事務なんですよね。
条件が良い事務の求人には1件の応募に100人くらい希望者がいたなんて話も聞きました。
今回私が就職したのは町工場の事務員です。
もちろん福利厚生は良くないし、給料も安い。
でも、とりあえず部品等の言葉はわかるし、前回と同じような内容だし、それをウリにして「前職も一人事務経験してきました。総務系から経理まで広く浅くできます」と面接時に話したらめでたく採用となりました!!
ちなみに面接を受けたのは私含めて5人だそうで、尚且つ町工場の雰囲気を見て辞退された方もいたとかなんとか。
いいじゃんねー、町工場。
実家が工場だった私にとっては、懐かしい雰囲気です。
私が住んでいた当時の実家より綺麗だしwww
今回わかったことは
「40代でも売り方さえ間違えなければなんとかなる」
ということです。
仕事はまだ全然なれていませんが、なんとかやっていこうかと思います。
小学生の息子も私も夏休み
小学生は夏休み真っ只中ですね~。
2年までは毎日学童に行っていた息子も、3年から嫌がり4年は一時預かりもしていません。
今年の夏は私が求職中で家にいるので毎日夏休み!!
……と思っていたのですが。
なんだか全然自分の時間が取れていない気がします。
私の夏はどこに行った!?
仕事しているときは毎日のルーティーンがある程度決まっていて、仕事の昼休みとかにブログ書き溜めたりとかして、自分の時間がたくさんあったし、なんてったって慣れているから疲れなかったんですよね。
今は子供の昼飯も作らにゃあかんし、どこか連れてけってうるさいし、かといって買い物とかに行こうというと嫌だというし、今まで「仕事だから行けない」って言ってた子供のイベントごとにも参加しているし。
学校や夏休みのなんとありがたいことよ。
夏休み入ってすぐに、子供が始めた剣道の試合(←もちろんまだ出られない。応援のみ)やら、子ども会の夏祭りやら、イベントは盛りだくさん。
もちろんハロワにも行かなきゃですし。
「私いま無職だからやるよ~!」とか言って子ども会の引き受けすぎたwww
この間諸々の忙しさは終わってようやく落ち着いたのですが、7月は自分で自分の首を絞めていましたね。
40すぎて未だに自分の能力値を把握していなくて、いわゆる「忙しいという人ほど時間の使い方が下手」を体現してしまうという情けなさ。
私も夜子供が寝てからブログ書こうとしているのに、なぜか寝落ちしてしまう日々です。
子どもと一緒に行った剣道の試合とか、子供と一緒に観た映画の感想とか、朝ドラに一言物申したいとか、金魚すくいの金魚で大変な思いしたこととか、子ども会の愚痴とかw、書きたいネタは溜まる一方。
一念発起して朝早起きして朝一ブログやろうかな。
……って、私朝弱いから絶対に無理。
でも、無理なら無理なりにちょっとだけやってみようかと思ってみたりもします。
必ずアップするんじゃなくて、書き溜めて3日後くらいに公開するとかだったら続けられそう。
せっかくのながーい夏休み、もっと夏を満喫したいと思います♪
哀悼の意を表したい心理
ソチ五輪のフィギュアスケート男子シングル銅メダリストの訃報が先日私の耳に入ってきました。
ご冥福をお祈りいたします。
突然の訃報は本当にいつも言葉にならなくて、今回もいろいろなことを考えつつも上手く文章になりませんでした。
何度も書き直しては消しを繰り返しました。
でも、言葉にならないならブログに載せる意味がないし、スケーターや彼の友人と違い異国の知らない人が哀悼の意を表に出して書く理由は特にない(もちろんだしちゃいけない理由もないですけれどもね)とわかっていつつも、なぜかブログに書きたくて……。
ツイッターとかは瞬発力でその気持ちをつぶやけますので、スケートファンも哀悼の意はツイッターに呟く方が多いとは思うのですが、私は言葉短く何かを伝えるのが苦手で、ついツイッターは放置してブログの方にいろいろと書いてしまいます。
特に人の死に関することは多くの人を傷つける可能性があるから丁寧に書きたいのですが、そう思うなら胸の内にこの気持ちを秘めて書かなきゃいいのにと思う自分もいます。
心理学を学んだわけではないのでわかりませんが、それでも何か文章に書いて残したいというのは、心の中に渦巻く感情を表に吐き出したくなる心理があるのでしょうね。
特に今回は怒りのやりどころのない事件だったので……。
そして、誰かと哀しみを共有したいとか、「私も哀しい」と誰かに言って欲しいとか、私がデニス選手のことを素晴らしいスケーターだと思っていたことを誰かに読んでもらいたいとか、何かしらの共感を求めたい部分があるような気がします。
スケーターが次々と哀悼の意を表すのには、まずいち早くお悔やみの言葉を述べるマナー的な意味合いもあるのかもしれませんが、悲しみを同じスケーター同士やデニス・テン選手のファンだった方々と共有したいという気持ちもあるかもしれません。
人は必ず死んでしまうもので、知らないところで亡くなった人や自分に対して関わりが薄い人の死は、さほど悲しみに暮れることはありません。
当然こんな風に記事にしようなんて思わないし、普段誰かがどこかで死んでいることを意識することもありません。
だからこそ、自分が好きだった人が亡くなったというニュースは、自分の中でその人の死が意味のあるものとして残るよう、言葉として伝えたくなるのかもしれませんね。