めざし女の処方箋

基本ダメダメ女のための緩いブログです。

出来る人のために資本主義は存在する

今日、たまたまはてなブログで大人についての話を書いている方のブログを拝見しました。

生涯モラトリアム?大人になるとはどういうことか - おのにち

 

分かりやすい記事で、しかも事例がかなり面白くて(書いている方は困った人に当たってしまって大変だったでしょうけどね)、凄く興味深い話でした。

 

ほんと、正しい大人ってなんなんだーー!!

大人の定義って難しいー!!

 

私は「自らが責任を取れる範囲でしか役割を受けない代わりに、見返り(例えば感謝されたり給料という報酬を貰ったり)も少なくて良い」と考えるタイプです。

「責任を負う」ことが大人だと言えば、私は確実に大人ではないです。

でもその「責任」っていうのも曖昧ですよね。

社会人として責任が重く、その責任を全うしたいがためにPTAとか子育ての責任を拒否する人のは大人なのか?って話になりそう。

自分のケツは自分で拭ければ大人というのが私の定義かな。

そして私は自分がケツを拭けるよう、なるべく汚れそうなところにはいかないという姑息な大人wwww

 

何が大人かどうかは置いといて。

出来ない人と出来る人は確実に存在する。

その穴埋めのために資本主義が存在する。

私はそう思っています。


 仕事だとこの資本主義が比較的発動しやすいですが(あくまでも比較的にです)、地域のことになってくると、それが難しいんですよね。

 

例えばPTA会長とか、「なりたい」といってなれる場合もありますが、大抵周りの推薦もありますよね。下で働く人は、「出来る会長」の方が自分たちが楽で良い訳ですから、自然と出来る人が持ち上げられ、引き受け、さらに経験値があがっていく。

そして出来ない人や上に立つタイプじゃない人、やりたくない人は「やる」機会を失い、経験値が上がる機会がなく、さらに出来る人が負担していく。

 

推薦されない側の私としては、出来ない人は自分が出来ないことを認め、出来る人に対して時間や手間で協力したり、なんらかの報酬を払う。出来る人ややれる人に「見返り」を渡すことが本来の資本主義だと思っています。

もちろん現実的には無理だとは思うんですけれどもね。

実際報酬をあげよう!とか言い出したら、今度は「私は金出しているんだからしっかり働け」とか言い出す人が絶対いるし。

PTA会長さんとかは報酬どころか、「なんだかんだ言ってやりたがりよねあの人」とか言われて感謝すらされないですよね。

もう、専業主婦の時給換算じゃないけど、PTAを外部委託してどれくらいのお金で運営できるものなのか、換算して総会で発表してほしいくらいです。

 

私も今子供会の三役をやっていまして、色々思うところはあるんですよw

 

もう、PTAとか地域活動とかは資本主義が無理だから、「全員PTA1回な!やらなかったら文句言いまくるぞ!」ってな平等を訴える社会主義な話になっちゃうのかな~なんて思っています。

やれる人がやる。やらない人ややれない人はその分何らかのメリットをやる人に差し出す。

これが出来ればいいのになー。