仕事は「やるべきこと」だから辛くなる
今週、というかもうここ半年くらいずっと仕事で悩みがありまして。
職場の環境がブラックとかそういう感じじゃなくて、もう自分の中でどうしても消化しきれない部分があるんですよね。
仕事が辛いって気持ちばかりになっています。
そういうとき、逃げていいんだーって感じで私は一目散に辞めるタイプで、実際に今まで何回か職を変えてきたんだけれども、今回は「辞める」の方に天秤が振りきれません。
そんな時にくま吉さんのほんわかした記事を読みました。
tocotocokumachan.hatenablog.com
くま美さんの言うことが、ストレートすぎて的を射ている!!
スター×100くらいつけたい!
そう、人間はやりたきゃやる、やりたくなきゃやらないという生き物なんです!!
「やりたい」「やるべき」「やらなければならない」
私は自分の行動原理って↑の3つだと思っています。
◆「やらなければならない」の一例◆
やらなければ死ぬ、もしくは体調を崩すもの
食事・睡眠・排泄・お金を稼ぐ(手に入れる)行為、などなど。
◆「やりたい」の一例◆
金が欲しい・楽したい・モテたい・のんびりしたい・美味しいもの食べたいなど。
時には「やらなければならない」ことより優先してしまい、くま吉さんのブログに載っているくま美さんのようになることも(笑)
「やらなければならない」と「やりたい」は普通にやれるんですよね。
その他は「やるべきこと」で行動しています。
例えば何日間くらいなら風呂に入らず不潔にしていても死にやしないけど、体臭がして人に嫌われるから「やるべきこと」といった具合です。
やるべきこととやらなくてもいいことの狭間とは
この「やるべきこと」は「やらなくてもいいこと」でもあります。
大抵はどちらかに振り分けられるんですが、やるべきこととやらなくてもいいことの狭間に陥ると、すこく辛くなってきます。
「やるべきこと」っていうのはやっかいで、常に天秤にかけていなければならないんです。
良い母でいる < 適当母でいる
適当母でいる > 適当すぎて毒親になって子供に心底嫌われる
みたいにして、自分の位置を決めていく。
この位置を決められなくなった時、すごーく辛くなるんです。それが「狭間」です。
私の中で仕事は「やりたい」や「やらなくてはならない」ではなく「やるべき」の部類。
最低限生活が出来るお金を手に入れるための手段の一つで、それが今の仕事じゃなくてもいいし、極端な話としては生活保護や失業保険、親の年金を搾取して暮らすのでも、それこそ詐欺や泥棒をしてもかまわないわけで。
まず、確実にやりたくないことは行動から省かれます。警察に捕まりたくないし失うものが多すぎる犯罪や、親のすねかじりはやりたくないですしね。
我が家は諸事情があり、旦那一馬力の選択は現在全くないため
無職(または専業主婦) < 働く
は決定しています。
ここもストレスの一つなんですが、ホントはやりたいことは「専業主婦」なので、やりたいこととやるべきことが乖離している部分があるんですよね。
でも、先ほども書いたように、お金を稼ぐ方法は今の仕事以外にもあるわけですし、他の人と結婚して専業主婦やるよりも今の旦那と生活する方選んでるんでw、今回の仕事を続けるか否かという面ではさほど関係ない部分かなとも思います。
現在の給料(私が昔貰っていた初任給より低い) < 安くなっても楽な仕事
というのも自分の中であります。
昔の仕事は時間も不定期で、残業も多く、独身だからこそできた仕事っていうのもありますし。
きめられない天秤は
辞める理由と、辞めない理由。
どちらも納得ができない。
くま吉さんの話を読んで、私は感じたんです。
今、私には「理由」が見つからないんだと思う。辞める自分を、もしくは辞めない自分を正当化できる「理由」が。
「こんな会社辞めてやるわ―――!!くそが―――――!!」
と言えるほど会社が悪い訳でなく、というかむしろ会社は会社として機能するために体制が変わっただけで、今回はあくまでの自分の中の問題が消化しきれていないのがストレスなわけで。
かといってストレスの解消法もわからなくて、月曜日には重い気持ちで吐き気を我慢しながら仕事に行くけれども、吐くわけでもないし、ストレスで体調崩して入院するほどでもないし。
と、辞める理由にも辞めない理由にも「言い訳」をしてしまうんです。
仕事をしないという選択肢がないくせに、いっそのこと首になったらどんなに楽か、その逆でこの仕事以外選択肢が無くなれば楽になるんじゃないか、辞める理由ができたらどんなに楽かって心のどこかで思っているから、単に自分で決断を下すのがえらくストレスになっているだけなんですよね。
ああ、決められないなんて。いい大人なのになぁ。