遅刻魔は時間にがめついことを自覚すべし
タイトルではえっらそーに書いていますが、私自身遅刻魔でした。
でも、自分が「時間にがめつい」ということを自覚してからは、遅刻がかなり少なくなったんです。
それでもギリギリになっちゃうことはあるんですけれどもね。
なので、遅刻魔の方に読んでほしい。「だって、しょうがないんだもん」「10分くらいでグダグダ言う方が細かくない?」じゃなく、自分が時間にがめついことを理解すれば遅刻は大きく減る、ということを。
そもそもなぜ遅刻をしてしまうか
純粋に「電車の大幅な遅延」「交通事故など予測外の出来事」だったらどうにもならないこともありますし、毎回「寝坊」だったら「どうやったら遅刻しないか」じゃなくて「どうやったら寝坊しないか」を考えるべきですよね。
今回は私がまさにやっていた「時間の使い方が下手で遅刻をする場合」を主に話していきたいと思います。
せっかく早く起きたのに、「余裕だから」と化粧に時間をかけて、出るのが遅れてしまう。
電車の時間や徒歩にかかる時間の計算が下手で、乗換の時に予定していた電車を逃してしまう。
遅刻しない人にとっては「じゃあ出る時間を先に決めて、15分くらい予定より早く出ればいいじゃん」と思いません?
それが出来ないのは、遅刻魔が時間の使い方に無駄がありすぎる上に時間に対してがめついからです。
遅刻魔は時間にがめつい
時間の使い方に無駄がありすぎるだけで、そこを自覚をしているなら、その短所を埋めるために早めに行動をして早めに到着すれば良いわけです。
遅刻魔は例え10分前に出ようと思っても、こんな感じになります。
出る時間まであと15分ある →
お米研いで炊飯器のタイマー入れてから出よう →
研いでいるうちに出る時間になってしまう→
でも10分余裕見ているから全部終わらせてから出よう→
時間ギリギリで玄関に行く→
靴を履いたら汚かったので、慌てて靴箱から違うのを出して履き替える→
走ったけど予定の電車に乗り遅れ、15分遅刻する
これ、「お米研いで炊飯器のタイマー入れてから出よう」としなければ、遅刻しないと思いませんか?
自分の為に1分1秒、ギリギリまで時間を使いたがるから、遅刻魔は遅刻するんです。
これ、待っている側は、遅刻しないようにこの15分を自分の為に使わず、待ち合わせに間に合うように使うんですよ。
そりゃ、自分が相手の為に時間を使っているのに、それを無駄にされたら腹が立ちますよね。
お金に例えるとわかりやすい
時間ってお金と価値観が似ています。
「損をする」という感覚になるとイラッと来るんです。
上記の遅刻、お金に例えるとこんな感じです。
友達と喫茶店に入って、お互い350円のコーヒーを頼んだ。
自分はおサイフにまだ150円あったので、500円のケーキセットに変更して、ひとりだけ食べたかったケーキを食べた。
けれどもよく見てみると、そのケーキはケーキセットの対象外で、追加で150円払わなければならなくなった。
お金が無かったので、友人に謝りお金を150円借りた。
これが1回ならともかく、何度も何度も続いたら、友人はキレるでしょう。
「余裕で足りる額の品物頼め!もしくはお金を多めにもってこい!」と。
ましてや、「あ、コレ頼んだらギリギリ、もしくは足りなくなるかも」ってわかっていてやっているなら、なおさらです。
もちろん、お金も時間も、人によって価値が違うものだから「150円くらいいいよ―奢るよ」といつも笑ってくれる友人はいるかもしれませんし、お互いに価値観が似ていて奢りあう仲の場合もあります。
けれども、やっぱり「一方的に損」をする側は、腹が立つわけです。
まとめ
遅刻魔は、第一志望の会社の就職試験の時とか遠足のときとかは、絶対に遅れない。
それは、遅刻することで自分が損すると自覚しているからです。
友人との待ち合わせの場合、相手に損をさせていて、その分自分の得をとっていることを自覚していないから、「ごめんねー」で済ませてしまうわけです。
遅刻魔は自分が遅刻するから、遅刻に寛容な人が多いです。
自分が15分くらい嫌な思いをせずに待てるからといって、相手にそれを望んではいけません。あなたは毎回「得」をしているから、「少しの損」が許せるだけなのです。
ずっと損をしっぱなしの人はイライラしてしまうのです。
「相手の為に10分、15分をケチらずに、化粧の途中であれ、洗濯の途中であれ、必ず時間の10分前になったら家をでる」
これを徹底すれば、遅刻はだいぶ少なくなります。
お金と一緒で、時間もケチると嫌われます。
お互いに気持ち良く「割り勘」が、一番人と長くつきあえるコツだと私は思っています♪
絵だけに存在する「ヘタウマ芸術論」
私の画力は普通です。
子供が小さいころにせがまれて描いてた、ジバニャンと悟空とピカチュウだけはそこそこ上手くなったけど、そこまで似ていないし体は描けません。色とか影とか上手につけられません。鉛筆でしか描けません。CGやったことないです。
はい、なんでも中の下な私です。
「普通」って、絵を描くにあたって一番致命的なんですよ。
下手なら「味がある」、上手いなら「うまっ!!」と注目を浴びるけれども、普通って何にもない。
同じ芸術でも歌や楽器ってある程度上手くなきゃ評価されないし、料理とかまずいものはまずいし、顔だって美人やイケメンの方が評価されやすいけど、絵ってなんで下手な絵が人気あるんでしょう。
「スプー」とか「かっこいいいぬ」とかさ。
かくいう私も下手ウマな絵が大好きです(笑)
↑のことを、ちょうど昨日夕飯の時に旦那と子供と話していたんです。
でも、結論は出ませんでした。
そしたら、こーにゃーさんのブログに絵のネタが書いてあるじゃありませんか!
かわいいw
こういう絵、大好きです♪
で、このブログを読んで、自分の中で結論が出ました。
音楽は「聴覚」。料理は「味覚」。
下手なら不快に感じるんですよね。
でも、絵は全然不快にならない!
逆に上手い絵でグロい絵とかの方が不快になったりしますよね。
不快にならないってことは、「バランスよく描けてる=実はうまい」ってことじゃないの!?
こういったバランスって狙って描けないし。
ああ、私も絵とか歌とか楽器とか、上手いものを作りたい。
けど、褒められたい<努力したくないだから無理だろうなw
ちなみに、私は昔から自画像だけは上手いと言われていますw
特徴ある顔しているもんで。
まだ実家に住んでいたうん十年前、なんかの心理テストで「自分の顔を○と△と□だけで描きなさい」ってのがあって、描いたら家族全員に「めっちゃ似てる……」と絶賛された記憶があります。
↓こんな感じの絵だったので、その絶賛は全然嬉しくなかった……。
……目は楕円で描いたかも??
いや、でも今自分が見ても似てるわw
ダメ男とブラック企業から抜け出せないワケ
私の友人で、昔恋愛しないと生きていけないんじゃないかという子がいました。
私より見た目もかわいくて胸もでかくて、話も上手で、モテて。
でもなぜか変な男ばかりに捕まっていました。
彼女に「えー、もっといい男いるじゃん、別れた方がいいよ」と言っても、
「分かっているんだけれども、今私自身が隣に誰かいないとダメなのよ」とか
「こんな私と結婚してくれるのはあの人しかいなかったから、生活の為我慢するしかないの」とか。
すっごく意外なセリフばっかりでてくるんです。
本人がいろいろなことを天秤にかけたうえで敢えてその道を選んでいるのだからまぁしょうがないなと思いつつ、ずっと腑に落ちないところがありました。
でもある日、私が仕事関係でいろいろ問題があって、ストレスMAXで辞めるか辞めないかの瀬戸際の時。
「でも今の会社辞めたらスキルのない私のこと雇ってくれる場所ないかも」とか「めっちゃブラックだけど、これを乗り越えれば少しは楽になるだろうから」とか言っていました。
その時気づいたんですよね、「彼女と同じこと言ってる」って。
で、私も友人に「辞めちゃいなよ!」ってアドバイスをもらいましたw
何で抜け出せないんだろう?
次に行く勇気って、結局のところ「自信」なんですよね。
今のものを切り捨てても何とかなると思っていたら、簡単に次に行けるのに、自分に魅力がないと思っているから「次に行ったらもっとひどい思いをするんじゃないか」「ここで頑張れないならどこにいっても同じじゃないか」って思ってる。
もちろん情とかもあるんだけれども、自信がないから「私がいないとこの人(会社)はだめになる」っていうように、「自分の存在価値」を他者に求めてしまうんですよね。
良い男が「あなたは素敵だ」って言ってくれてもお世辞に感じたり「あなたにとって本当に私みたいな人が必要なの?」って感じるけど、自分よりダメな男だったら「私がここにいても良いんだ」っていう錯覚に陥ってしまうわけです。
ダメな男もブラックな会社も、「あなたがいないと困る」というのを時折出すのが共通点ですしねw
でも、傍から見れば「やめりゃいいじゃん」なんですよ。
もっといい男いるじゃん、もうちょっとマシな会社あるじゃん。
そう、どう考えてもダメな案件。その通りだって思うんだけれども、なぜか「別れたら?」「辞めたら?」と言われたら、次に「でもでもだって」というセリフが出ている自分がいるんですよね。
じゃあどうしたら抜け出せるんでしょう?
例えば私が旦那のことが嫌いになったとして、私が旦那と別れたら?
40過ぎのの子持ち女のことを好きになってくれる、今の旦那より超ーーー素敵な年収1千万越えの男性があらわれて、私を養ってくれるの♪
……なんて、脳内花畑なことは当然考えられません。
けれども、嫌なところから抜け出せたら、友達と遊びに行ったりとか、子供と濃い時間を過ごしたりとか、今までできなかった違う楽しみはできると思うんですよね。
あ、一応補足ですが、今旦那のことは大切ですし、別れる気はさらさらありませんw
仕事もそう。
今の会社やめて、給料は最低手取り25万で、完全週休二日で、子どもが熱出したら休ませてくれて、残業がないところで働くわ♪
なーんて、馬鹿な願いは叶わないことはわかっています。
でも、「条件は悪くても今より人間関係だけはいいところ」とか「給料は下がっても、ちゃんと休みが取れるところ」とかだったら、いける気がしません?
つまり、「私なんか全部だめだわ」じゃなくて
「これだったら私でも行ける気がする!」
というラインを自分の心の中で見つける。
「でもでもだって」から抜け出すにはこれが大切です。
少なくとも今ストレスになっている元を排除できれば、他は今よりランクがちょっと下でも大丈夫!意外となんとかやっていけるものです。
ちなみに上の例に出した友達は、今はしっかり離婚に向けて準備中です。
抜け出せて良かった♪ って思います!
借金を返済するために必要な3つのこと
タイトルと写真、なんとなくよくブログでありがちなヤツにしてみました(笑)
実は↑みたいな記事、以前書いていたことあるんです。いわゆるクラウドなんとかでw
と、いうわけで、今回はぱくたその大川さんに登場して頂きました(笑)
まぁ、それはさておき。
記事は真面目です。
以前書きましたが、私は独身時代キャッシングをしていた時代があります。
今はしっかり返済しています。
私がそうですが、借金をする人の性格といえば
- 「自分に甘い」
- 「ストレスに弱い」
- 「ポシティブ」
です。
お金が無くて我慢するより、自分がしたいことや買いたいものを選ぶ(自分に甘い)→借金
身内に怒られるのが怖い(ストレスに弱い)→無人のATMで借りる方が良い→自転車操業
なんとかなると思う(ポシティブ)→給料を返済に使い、また借りるを繰り返す→限度額までGO!
ってな流れです。
あ、あと「寂しがり屋」っていうのもあります。
寂しくて、人とのつながりが消えるのが怖くて、交際費にお金をかけたりしちゃうんです。
まずは上記のことを踏まえる事。そして↓のことが必要です。
1. 身内に相談する
お金の大切さがよく分かっている人にはもうアホとしか言いようがないと思うんですが、借金をする人は限度額目一杯いくまで人には話さない人が多いです。
借金をする人の特徴として、怒られたり嫌われたりするのが非常にストレスなんです。
誰かに話して怒られるより、ATMでお金を借りた方が自分が楽だから黙っているんです。
「自分が借金していることを嫁にバレたら怒られる。でもパチンコしたい」
「自転車操業だけれども、まだ何とか返せているから大丈夫」
いやいや、隠し事はバレるもんです。そしてバレた方が大きな問題になります。
いやいやいや、自分で何とかできないから自転車操業なのを早く気づいてください。
とにかく、生活費を借りるようになった時点で「一刻も早く誰かに土下座する」ことが、早く返せるし、怒られる量も少ないです。
2. お金の管理を任せる
「ご利用は計画的に」って、計画的にご利用できない人間が借りるんじゃーーーー!!
ってことで、自分では管理できないことを知って下さい。そして誰かに管理してもらってください。
たまーに子供の借金を肩代わりしてくれる親がいて、その金を踏み倒しても文句は言わない人もいますが、それは「管理」ではありません。
親や夫・妻にクレカを預けたり、たまに信用情報取得して相手に借金が減っているか確認してもらったりして、再び借りないように、管理してもらうんです。そうすると、どうやったら 収入>出費 になるかがだんだんわかってきます。
3. 「無駄」と「そうでないもの」を分ける
借金をする人は寂しがり屋が多いです。
人がいないと、自分が生き生きしていないと不安で、今月きついのに友達に誘われたら飲みに行くし、心の寂しさを埋めるために観劇だのスポーツ観戦だの、自分の懐事情を考えずに動き回ります。
私も借金のほとんどは「交際費」から始まりました。友達と飲みに行くのが楽しくて、誘ってくれなくなったら嫌だからお金を借りてまで飲みに行きました。
そして「人脈はお金に代えがたいから、無理してお金を出すのは投資と同じだ」と思っていました。
でも、今その友達は一生の友達になった?といったら、全然です。
そうよね、投資は「損」もあるものよねwww
確かに若いころに遊びまわったから、結婚してから「遊びたーい!」が少なくなったという意味では良いことはありました。
でも、時と場所を選別せずに遊びまわっていても、使ったお金は決してプラスになって帰ってきません!
お金を借りる前に「今あるお金」の中から「どこに投資すればいいのか」を考えることが必要です!
最後に
私が借金を無くせた理由は、旦那が「断固借金が嫌いな人」だったからです。
不倫とかでも即離婚という人と許せるって人いますよね。
旦那は「黙ってお金を借りたら即離婚」タイプです。
ホントにやります。
なので、私の中で「お金を借りる<あるだけで何とかやる」という気持ちが構築できました。
……でも一度、いろいろトラブルがあった時に、旦那に拝み倒して旦那の貯金から短期間だけ借りたことあるけど。
昔は3で書いたように「借りてた方が良い」と思っていたから借りていました。
借りなくなるには、気持ちの上で「借りない方が借り続けているより良いことがある」と持って行くのが一番です。
あと、若い人は結構知らない人もいるんですが、キャッシングしてると住宅ローン借りられなくて大変よ。その時に夫や妻から責められるより、早めに返しておきましょうね♪
「借りない方が良いことがある」というものを、何か見つけてくださいね。
ベビハラ?親ハラ?それともマナーハラスメント?
今、こんな記事が話題なんですね。
このブログを書いた宮田レイシープ様のおっしゃること、確かに一理あるとは思います。
確かに混雑した花火大会で赤ちゃん連れをみたりすると「こんな混雑と大きな音に赤ちゃん耐えられるの?」とハラハラすることもありますし、子供に対しても、周りに対しても、気遣いが必要な時はあります。
親が我慢した方が良いケースもたくさんあります。
でも。でもね。
「自分が不快だとか可哀そうだとか感じたからと言って、世の中の全員がそう感じているわけじゃない」と私は思うんです。
赤ちゃんを今育てている親御さんに言いたい
「子供うっせぇなぁ!!!!!」
って、周り全員が思っている訳じゃないですよ。
「赤ちゃんは泣くのが仕事だから♪」と微笑ましく思う人もいます。
お母さん大変ねって同情する人もいます。
ちょっとうるさいなと思ってもこれくらい許容範囲だわって人も、
スマホに夢中で全然気になっていないって人もたくさんいます。
我慢の限界に達した人が「うるさい!」と声を上げるわけであって、そういう人はごく一部です。大半は興味がないとかわざわざ声に出して言わないサイレントマジョリティなだけです。
私も赤ちゃん連れで電車や新幹線に乗るくらいの日常生活をしても良いと思うし、泣いたら降りるなり場所移動するなりしろなんて思わないし、買い物くらい普通出て良いと思っています。
今は通販とかあるからずっと家の中で暮せるとか思われがちだけど、子供の健診行ったり、じいちゃんやばあちゃんに呼ばれたり、保育園に行ったり、赤ちゃん連れて出なければいけない用事は色々ありますもんね。
世の中は「誰かの我慢」で成り立っています。
この記事を書いた方は赤ちゃんの煩さに我慢してきた人なんでしょう。
じゃあ親が我慢して子供を連れださなければ解決するか?
周りが煩いのを我慢すれば解決するか?
そんな単純なことじゃないと思うんです。
自分が我慢したくないから言う言葉や行う行動は、他の誰かを我慢させることになります。で、どちらかに比重が向きすぎると、どちらかが爆発する。
子供を放牧する人が多くなれば「煩い!」って人が増えるし、親をマナーマナーと縛り付ければ今度は親が「子育て出来んわアホが!!」となるわけです。
お互い限界値に達しない中間点を取るためには「相手は我慢していないのに、自分ばかりが我慢している」という発想を一度取り払って、どの段階ならお互いに「ちょっとずつ我慢」で済むかを考えてみると良いと思うんです。
それは、周囲だけでなく、親も。
で、結局のところ良い解決方法ってあるの?
そもそも「うるさい」とか「マナー違反」とか感じ方はひとそれぞれなので、ズバリ解決方法はないでしょう。
どんなに気を遣ってもダメなときはあるし、どんなに子供の声を我慢していても疲れていて限界になっちゃうこともある。
けれども、少なくとも自分が心穏やかでいられるように、親も、周囲も「これがマナーだこれが正義だこれが正しい」っていう気持ちを少し捨ててみて相手の事情を鑑みると、楽になれるんじゃないかなって思います。
「夕飯理不尽さ問題」
昨日、ツイッターのトレンドに「理不尽さ」という言葉を発見。
??と思ってみてみると、この記事でした。
なんとわかりやすい考察なんだ!
あまりにも素晴らしくて、書こうかなと思っていた内容を後回しにしたくらいですw
この問題で喧嘩している夫婦は上記の記事を読んでいただければ、ここで何も言わなくてもお互いの心理が良く分かると思います。
我が家ではこの「夕飯何食べたい?」の理不尽さがあまり起きないです。
それは、たぶん我が家は夫が「考える家事」をメインにするタイプで、この記事の妻の気持ちがよーーーーくわかるからだと思います。
そしてなにより、夫が伝家の宝刀「今日は俺が飯作るよ」を持っているからです(笑)
私が「夕飯食べたい?」と聞くとき
「夕飯何食べたい?」と聞いたら、私の夫は「ハンバーグ」が4割、餃子が3割、カレーやハヤシライスが1割、その他のおかずや丼ものを2割くらいの割合で答えてきます。
答えるのは「お米のおかずに成り得るメインディッシュ1品」です。
これは新婚当初より私がお願いしていることです。
疲れているときは、考える面倒さより、買う面倒さや作る面倒さの方を私は選びます。「ハンバーグ」と言われたらハンバーグを作ります。そして他のものは買い物しながら適当に選びます。
合いびき肉が高かろうが、買い物行くのに時間がかかろうが、私にとって献立を考えるより、何も考えずに言われたものを作るのが楽なんです。
主人もそれを良く分かっており、ハンバーグ以上の難易度の高いものは言ってきませんw
でも、「考えない」=「手順や金銭面で無駄が多い」です。
夫は本当はそれが嫌なのですが、私が不機嫌になるよりマシだと思っているようです。
ちなみに小学生の子供に「夕飯何食べたい?」と聞くと「回転寿司!」とか「マック!」とか「ステーキ!」とか言うので、聞けません……。
夫は「考える家事」タイプで予定が変更になるのを極度に嫌う
夫側から言うと、「ハンバーグ」と答えた時は、例えば冷蔵庫に人参が余っていて、付け合せに使ってほしいなとか考えているときです。
でも、妻(私)は計画性がないので、夜冷蔵庫を除くとまるまる人参が余っていたりします。
夫は無駄が大嫌いです。でも、私に諭しても「考える家事」をしないタイプだというのは重々わかっています。なので、翌日「今日は俺が夕飯作るよ」と言って、人参をたくさん使うために自らが動きます。
但し、夫は計画をしっかり立てられて無駄がない部分がありますが、計画が崩されるのを一番嫌います。なので、私はその部分を理解しないといけません。
「俺が夕飯を作る」と言った時は、頭に色々「考える家事」が浮かんでいるときです。そういう時、私は一切手を出さずに主人が自分自身で計画を遂行できるように子供の宿題を見たりするようにしています。
この問題に対するベストな回答とは?
我が家でのベストな回答は「今日は俺が夕飯作るよ」なんですが、考えて家事をしている奥様方はご主人に好き放題やられたら「明日は○○作る計画だったのに!」ってイライラしちゃいそうですよね。
記事にあるように、本当の妻側の要求は
「冷蔵庫の中身とスーパーの特売と旬の食材と栄養のバランスを考慮したうえで、家族みんなが文句言わずに食べられて、私の腕でも作れる料理の中で、何が食べたい?」
なわけです。
この中で、妻側は一番優先したい部分と削除していい部分を考え、夫側にそれを伝え、そして何より夫がそれに協力してくれること、ここなんでしょうねー。
長々と書いてしまいましたが、張り切って書いた割には内容が薄いので、適当に読み流して、貼り付けた記事の方をお読みください(^^;)
いじめられる側にも原因はあるか
もうすぐ9月ですね。
私の息子の学校は二期制で、すでに8月後半から学校が始まっていますが、私が子供の時は三学期あり、9/1が始業式でした。
9月1日。学校に行きたくない子供が自殺をすることが多い日なんだそうです。
■いじめって、いじめられる側にも原因があると思いますか?
私も過去いじめられたことがあります(とはいっても暴力はなく、クラス全体の無視や嫌がらせ程度で済みましたが)。
今思うと私はかなり空気を読めないタイプで、言葉足らずで人を傷つけたりして、嫌われるタイプだったなと思います。
「悪い部分があったか」という問いなら、私の場合はあきらかにありました。
いじめる側にしてみれば「いじめられる側にも原因がある」と思うからいじめるんだと思います。
ウザいから、臭いから、生意気だから、みたいな単純な理由もあれば、友達だと思っていたのにひどく裏切られたという場合もあるでしょう。
けれども、私はいじめられる側に「嫌われる原因」はあったとしても、それを「いじめていい理由」にしてはいけないと思っています。
いじめる側は自分で行動を選べます。ウザいから殴ることも出来れば、ウザいから距離をおいたり、ウザいから最低限の会話で済ますことも出来ます。
その「どういう行動を自分が取ったか」という責任は、自分が負わないといけないと私は思うんです。自分の親が相手にさせた怪我の賠償をすることになったとしても、推薦を取り消されても、部活を退部させられても、それは自分が取った行動による責任なのです。
逆を言えば、いじめられる側の嫌われる原因をいじめられる側が努力して直したからといって、いじめる側がどんな行動をとるかは、いじめる側にしか決められないのです。
いじめられる側は、「自分が悪いんだ」と思う前に、その理屈を知る必要があります。
人には得手不得手があるし、めざしがいきなりマグロになれるわけないんです。
いじめられてしまえば「めざし」の自分がいけないんだと、マグロにならなければいけないんだと、苦しみます。そして、世の中には私みたいなめざしは1匹で、みんなマグロなんだという錯覚に陥ります。
私に対してのいじめがなくなったのは、私が変わったわけではありません。めざしのままで周りに受け入れてくれる人が少人数だけど現れてくれたからです。
■「嫌い」を「いじめ」にしないために
「嫌い」を「いじめ」にしないためには、もちろんいじめる側が「イジメ以外の選択肢」を取れればベストだと思っていますし、いじめる側にならない教育が必要だと思います。
けれども、それはあくまでも理想論。
イスラム教の過激派にとってキリスト教は殺しても良い敵であるように、一部の強い思想を持ち、自分が正しいと思っている人には理屈が通らない場合もあります。
人の思想の自由は止められないし、自分が正義の人間はどうしても一定数います。
そういう人たちに「キリスト教は悪ではないよ」「無宗教になれば?」と言ったとしても、聞き入れないですよね。
大人でもそうなのですから、未熟な子供では、どうしても「自分は悪くない」「アイツが悪いからだ」と思いがちです。
いじめは「いじめる側」が悪いですが、対策をとるのは「いじめられる側」やその他周りの人間が取った方がスムーズなんです。
でも、いじめられる人は、他の人に打ち明けられません。自分はいじめられる人間だ、自分はダメな人間だと周囲に話すことが怖いからです。
同じく「学校に行かない」という選択肢も心が病むまではなかなか持てません。イジメを隠す子は自分が傷ついても親を悲しませたくないわけですから、学校に行かなければ親が悲しむと思ってしまいがちです。
なので、周囲の大人がすることと言えば「何があったか全部話せ!学校に訴える!」とか、「自分が強くなればいじめられなくなるよ」とかいう「めざしをマグロにする」理屈ではなく、時間がかかってもめざしが生きやすい場所を一緒に探す覚悟を決めることなのかなと思います。
今回はブログタイトルの「めざし」で例えましたが、鮎の子もいるし、金魚もいるでしょうし、フナもいるでしょうし、タイプによって、また受けた傷によって対処方法も違ってくるから、最初は手探りで長い戦いになると思うんですよね。
まずは仮の水槽でもいいから「居場所」をつくり、少しずつ快適にすごせるよう専門家の話を聞きに行くのが良いのかなと私は思います。