人が見る私と自分が見る私
たまに、人が見ている世界と自分が思っている世界の違いって知りたくなりませんか?
こしあん粒あん論争という至ってありがちなネットの一コマが、「好き・嫌いには結構幅があるけれども、人はつい自分の尺で物事を解釈してしまうよね」という深い話に発展するこのエントリー。
「自分の尺で言葉を解釈する」っていうのは、特に表情や声の抑揚などのノンバーバルコミュニケーションが見えない【文章のみ】のネットで起こりやすいですよね。
「嫌い」という相手の言葉が「大っきらい!!!!」なのか「どちらかというと好きじゃない」なのか、どの位置で放たれたかってなかなかわからないですが、できるだけ想像して相手が言った意味に近づけるようにすることって大切ですね。
この記事を読んで、思い出したことがあります。
私は昔、よく友人や知人に「変わっているよねー」と言われていました。
40過ぎた今は、周りが人生経験豊富な人が増えてきているからか、さすがに「変わってるね」なんて面と向かっていう人も少なくなりましたけど。
幸い現在の私の周りには「解釈の幅が似ている人」が多いですが(というか、私が変で理解できないタイプの人は離れていっているだけかも!?)、ひとたび会社とかママ友とか「世間」に出ると、未だ少しずれているかなと感じることがあります。
正直この「変わり者」って表現も、誰かからみれば普通で誰かから見れば理解不能ってこともありますし、この部分はマジョリティだけどこの部分はマイノリティってところもあると思うので、すごく曖昧な言葉ですよね。
もちろん自分では至って普通の行動をしているつもりではあったのですが、複数の人に言われているんだから多少変わっているところはあるんだろうなという形で自覚はしていました。
でも、人から見て自分はどの部分でどれだけ「変わっている」のか、自分が思っている「変わっている」と人が思っている「変わっている」にどれだけずれがあるのか、一時期ものすごく知りたい時期があったんです。
自分の「変わり者度」を表にしてみた
もう10年以上前のある日、友人とお茶していたときのこと。
なにかの話題から、私がどれだけずれているか知りたいという話を友人としたんですよね。
そこで私と友人が思いついたのが
「グラフにしたら視覚的にわかりやすいんじゃない?」
ということで、下のような表を書いてみました。
お題は「自分(私)がどれだけ変わり者に見えるか」。
表の先端は、日本で一番優秀な人と日本で一番変わり者。
もし日本人全員に順位をつけるとしたら、私はどの部分の立ち位置にいそう?という質問です。
カフェのナプキンに↑を書いて、友人に当てはまる部分に丸をしてもらいました。
真ん中の棒は「普通と変な人(または優秀すぎる人)との境界線ね」と注釈をつけて。
私的には変な人寄りだとは分かっていたのですが、この「境界線」は超えていないと思っていたんです。
しかし友人が付けた場所は。
理由を聞いたら変な部分が出てくることでてくること。
- 動きがカクカクしていて変
- 会話がいきなり果てしなく飛ぶ
- かと思ったら急に戻ってくる
- ストローの袋で人形作りとかしたりとか、変なことが好き
- どうでもいいことにばかりこだわりがある
- けれども大切なことに関してはかなり大雑把
などなど、書ききれません。
でもさすがに境界線超えちゃうか?って聞いたら。
「そもそも私が境界線超えてる変な奴だと思っているから、その私と気が合うのが一番変。普通の人は避けるはず」
だそうでwwww
その話を聞いて、ほかの子に同じ表をやらせてみたら、私より少し変よりでしたが境界線は超えなかったんですよね。
(ちょっと忖度はあったかもしれないけどw)
良かった良かった。
これ、できるなら知り合い全員にやってみたかった。
ちなみに私はこしあん圧勝
余談ですが(というかホントはこれが本題!)粒あんかこしあんかの件。
私は粒が嫌いでこしあん大好きです!!
「漉す作業が面倒だからって、粒ごと入れてんじゃねーよ!」くらいに思っています。
あんみつもこしあん。あんぱんもこしあん。水ようかんも絶対にこしあん!!
でも、たい焼きだけは。たい焼きだけは!!
粒あんです。