自信ってあってもなくても能力は変わらない
私は子供の頃めっちゃ自信家でした。
小学生のときのテストで100点が多かったってだけでwww
当然根拠のない自信だけで実績が伴わなかったので、中学で鼻をへし折られるわけですが、鼻をへし折られなかった人物は、へし折られないだけの実力を持っている方々なんだと思っています。
はてブロのトップのおすすめ記事に載っていた、京大生の三宅さんのブログに、京大生の方々の自信についての話が載っていました。
京大生なら勉強に関しては自信を持って当たり前ですよね。私みたいに根拠のない自信じゃなくてしっかり裏付けがあるのですから、周りに負けることもないし、周りがなにか言っても周りの方が負け犬の遠吠えになりますもんね。
たとえ京大生でも、これから社会に出たら鼻をへし折られる人もいるかもしれませんが、基本的に勉強の能力は高いので、意外とそのままな人も多いんじゃないかなーとも思います。
逆を言えば、自信がない人でも社会人になって何かの能力が周囲に認められるようになれば、それが自信につながることはあるのでしょうね。
私の子供の頃の記憶
前記事に書きましたが、私は小学生の時「成績の良いバカ」でしたw
でも当時は頭がいいと自分で思い込んでいてw
謙遜して隠そうとしても、心の中では自分が頭がいいと思っているから、すぐ表面に出ちゃって嫌われたりいじめにあったりもして、自分の評価と周りの評価の差がありすぎて、でもどこかで「自分はやらないだけ、やれば出来るんだ」という根拠のない自信を持っていないとプライドが保てなくて、そりゃもうこじらせまくって大変でしたw
大人になった頃、ようやくその万能感から抜け出すことができて、努力しないダメな自分を受け入れられるようになりました。
表面的には自信のない人間になったわけですが、でも根本的にはポシティブな部分があると思っています。
人間自信があってもなくても能力は変わらない
一方こちらは上のブログとは少し違う視点で「自信」について書かれたハルオサンのブログです。
なんか、自信って持たなきゃいけないとか自信を持ちたいとか思うような風潮がありますが、こればっかりは持とうと思って持てるわけではありません。
10人の人が評価してくれても、本人が100人くらいの人に認められないとダメだと思っていたら自信には繋がらないし、100人が評価してくれても一番評価して欲しいたった一人の人が評価してくれなかったら自信にならない人もいます。
別に自信なんて持ったって持たなくったって生きてはいけます。
自信は何かをやるときの行動原理にはなりますが、自信があってもなくても自分がやれる能力は変わらないし、能力を使ったことによる結果も変わりません。多少周りの評価が変わるのと、自分の受け取り方が変わるだけです。
だから、自信のないことに対して深く落ち込む必要ってないと思うんです。
私も自信があった時と自信をなくした時で能力が変わったかといえば、能力自体は変わっていないんですよね。
あとは、いかにして「これでいいのだ!」と思える環境に自分を置くか。
それだけなんだと思っています。
人に必要とされる自信
人は生きる意味を持つときに「誰かに必要とされていると感じること」が大きく左右すると私は感じています。
テストなどの成績やいいね!の数などの数字的な話ではなく、自分がどれだけ「必要とされているという自信」を持てるか。
たった一人の人に愛されることこそ幸せという人もいるし、不倫をしてでも常に誰かに好きと言われることで自信を感じる人もいるし、仕事で必要とされることが幸せな人もいるし、自分ではなく周りに認められないと不安な人もいます。
結局人生の中で自分がどういった環境で落ち着けば良いのかは、悩みながらいろいろ試したりするしかないんですよね。
私は家族が自分を受け入れてくれている、これが穏やかな心を持つ支えになっています。
結論として「誰かに必要とされる自信」を持つことが、いろんな自信につながるんじゃないかななーんて私は思います。